デッサンとイラストに必要な技術は全く異なる。
2015年 09月 23日
デッサン、絵を写真に写し取る作業は「目」が重要だ。
ものを概念としてとらえずに、ものとしてとらえなければならない。
人を人という概念をもってみてしまうとうまく書けない。
動物はうまく書けても、人がうまく書けない人がいる。
表情や声、においなどが邪魔をして、人をものとして見れていないのだ。
ちょっとスピリチュアルな感じもあるが、それはきっとある。
そういう部分でなく、もっと簡単なところでいえば
「金属光沢」
「金属独特の反射」という概念でとらえるのではなくて、「光の濃淡」としてとらえる必要がある。
「ピカピカしてる」ではなく。「光ってる部分」と、「黒い部分」「茶色部分」「黄色部分」と分析してとらえる。
あとはそれをひたすらに紙に写し取るだけである。
しかしながらここからも注意点がる。
「目はうそをつく」。
デッサンにおいては、目をも信用してはならない。
「そんなことない」という人は錯視で検索していろんな例を見てみるといい。
そういった現象が細かく存在し、ものの大きさ、長短、色を間違える。
そういったものを確かめるのがスケールやその他補助道具である。
ここまで来れば、ひたすらに極めればスーパーリアルな絵も描けることだろう。
でもそこまでやる人は少ない。たいていここらで「写真と何が違う?」という疑問をもってしまう。
そして、デフォルメなどのイラストに走っていく。
しかしながら、イラストはここまでやってきたこととはまるで違う。今まで身に着けた技術がまるで役に立たない。
イラストは、ものの形を「複雑な漢字」のようなものとして「覚え」なければならない。
「人の形」「犬の形」「コップの形」「猫の形」
簡単に言うが、これは並大抵には身につかない。きっとひたすらに描いて覚えるしかない。
デッサンの時は概念が邪魔をするといったが、イラストは全く逆でものを概念としてとらえなければならないし、ものの仕組みや性質を知っていると習得の助けとなる。
デッサンと違い、習得すればそのものを角度を変えたり、動かしたりが容易にできる。
という、デッサンとイラストの差についてでした。
ものを概念としてとらえずに、ものとしてとらえなければならない。
人を人という概念をもってみてしまうとうまく書けない。
動物はうまく書けても、人がうまく書けない人がいる。
表情や声、においなどが邪魔をして、人をものとして見れていないのだ。
ちょっとスピリチュアルな感じもあるが、それはきっとある。
そういう部分でなく、もっと簡単なところでいえば
「金属光沢」
「金属独特の反射」という概念でとらえるのではなくて、「光の濃淡」としてとらえる必要がある。
「ピカピカしてる」ではなく。「光ってる部分」と、「黒い部分」「茶色部分」「黄色部分」と分析してとらえる。
あとはそれをひたすらに紙に写し取るだけである。
しかしながらここからも注意点がる。
「目はうそをつく」。
デッサンにおいては、目をも信用してはならない。
「そんなことない」という人は錯視で検索していろんな例を見てみるといい。
そういった現象が細かく存在し、ものの大きさ、長短、色を間違える。
そういったものを確かめるのがスケールやその他補助道具である。
ここまで来れば、ひたすらに極めればスーパーリアルな絵も描けることだろう。
でもそこまでやる人は少ない。たいていここらで「写真と何が違う?」という疑問をもってしまう。
そして、デフォルメなどのイラストに走っていく。
しかしながら、イラストはここまでやってきたこととはまるで違う。今まで身に着けた技術がまるで役に立たない。
イラストは、ものの形を「複雑な漢字」のようなものとして「覚え」なければならない。
「人の形」「犬の形」「コップの形」「猫の形」
簡単に言うが、これは並大抵には身につかない。きっとひたすらに描いて覚えるしかない。
デッサンの時は概念が邪魔をするといったが、イラストは全く逆でものを概念としてとらえなければならないし、ものの仕組みや性質を知っていると習得の助けとなる。
デッサンと違い、習得すればそのものを角度を変えたり、動かしたりが容易にできる。
という、デッサンとイラストの差についてでした。
by hichuzi
| 2015-09-23 17:02
| ひとりごと